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特別支援教育を勉強していた話

こんにちは!M1のあやねです!

すっかり夏ですね~。暑くて暑くて溶けてしまいそうな毎日です。

 

さて今回は、特別支援教育を勉強していたという話をしようと思います。

 

私は、学部生時代は4年間特別支援教育を学んでいました。ただ、「特別支援教育専攻」みたいにめちゃくちゃ特化して学んでいたわけではなく、特別支援の教員免許状を取得するための授業をとっていただけでした。

 

しかしこの4年間でかなり考え方や世界の見え方が変わりました。

もともと差別や偏見はしてはいけないと強く思っていたものの、障害ときくとどこか自分とは違う...と思ってしまうところがありました。

これは障害をよく知らないがゆえのことだったんだろうなと今振り返って思います。

 

4年間で、知的障害や視覚障害、聴覚障害、発達障害、肢体不自由...などに関する基本的なことを学びました。また特別支援【教育】についても学びました。

 

その中で見出したことは、【障害の有無にかかわらず、みんな人間】ということと、【障害は社会の中にある】ということです。

「ん?どういうこと?」と思われるかもしれません。

 

①【障害の有無にかかわらず、みんな人間】

まずは【障害の有無にかかわらず、みんな人間】についてお話します。

障害があるかないかに関わらず、私たちは一人ひとり違うのであって、それは好きな食べ物/苦手な食べ物、好きな場所/苦手な場所、好きな音/苦手な音、得意なスポーツ/苦手なスポーツ、得意な教科/苦手な教科......挙げ出したらキリがないですが、これらはみんな違うはずです。それは障害があってもなくても同じことです。

このことが分かったとき私は、障害があろうがなかろうが、私は私だしあの人はあの人なんだ、みんな同じ人間なんだという考えに至りました。

 

②【障害は社会の中にある】

次に【障害は社会の中にある】ということについてお話します。

もしかしたら知っている方もいるかもしれません。これは障害の「社会モデル」という考え方です。これと対をなす考え方が「医学モデル」です。

 

簡単に説明すると

医学モデル・・・障害は個人の中に起こっているものだと捉える考え

社会モデル・・・障害は個人と社会との間に存在すると捉える考え

 

です。(たぶん)

 

医学モデルがあるからこそ、治療というものが存在します。だからこそ、この考え方は悪いということではありません。

ただ障害を理解するためには社会モデル的な考え方も持ち合わせておく必要があると思います。

 

例えばあなたがアメリカに旅行に行ったとします。(今はコロナで行けないけど)

あなたは英語がほとんど話せません。しかし現地の人と話さなければならない場面が来ました。どうやら相当焦っているようです。状況を把握するために、質問をしたいのですが、なんせ英語が話せません。

今、障害が生じましたね。

さて、この事例ではあなたに問題があるのでしょうか。それとも現地の人でしょうか。社会モデルは、どちらも違います。

あなたが英語を主として話す社会にいることで、障壁が生じたのです。

 

もう一つ例を挙げますね。これはかなりハッとするのではないでしょうか。

ディスレクシア(読字障害)のある方が、「文字」という文化の無い社会に行ったとします。その社会にいれば、その方は障害があるとは認識されないはずです。

なんたって文字が無いので。

 

これが障害の「社会モデル」の捉え方です。

 

 

 

こんな感じで知っているからこそ見える世界もあるんだなあ、という経験をしました!

 

ついつい長くなってしまいました...(笑)

まだまだ語り足りないですが、今回はこのへんで...(笑)

 

それではまたお会いしましょう!