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雪国での言葉

言葉は変化する

 今日は言葉について書いてみたいと思います。別に小難しいことを書くわけではなく、和歌山から新潟に来て改めて言葉は変化するんだなと思った体験です。方言ということではなく、同じものを見ても言葉が違うということです。そして言葉が存在しない場所では認識が違うということです。

 

 雪を見た時に僕は「雪」は「雪」としか認識できません。しかし雪国で暮らしている人は「積もる雪」と「積もらない雪」の違いが分かります。同じ雪であっても違う認識がうまれます。

 僕は霙(みぞれ)と雹(ひょう)の違いはあまり分かっていません。雪が積もりやすい温度なんかも知りません。生活にとくに必要を感じることがないからです。

しかし、雪国ではそろそろ積もるかもしれない、冬準備が必要になって来るので知る必要があります。

 例えば、左の写真を見た時に、「木を守っている?何で?」と思うのか「雪囲いか、もう冬だな」と思うのか。

 言葉を知っているかによって持つ感覚は変わってきます。僕は雪囲いという言葉を知らなかったので、ただの木を守っているものとしか認識できていませんでした。

そこに季節感を感じることは出来ませんでした。

 というように場所が変われば、言葉は変わります。言葉が変われば認識が変わります。日本語という大きなくくりの中では同じであっても場所によって、世代によって言葉は変化します。

 

違いを知ると、世界が広がる

 言葉の違いを知ることで、世界の捉え方というと大げさかもしれませんが、それでも感覚や感じ方は今までと変わります。もちろん雪国の大変さを理解することは2年間、生活したくらいじゃ理解できないと思います。それでも、違いを知ることが出来ます。違いを知ることで、世界はほんの少しかもしれませんが広がっていきます。

 この2年間で私は、自分が見ている今の世界がすべてじゃないと感じることが多くありました。それは教授との出会いや全国から来ている学生との出会いです。

もし、そういった違いを感じる環境を感じたい、作りたいと思う人はぜひ、上越教育大学教職大学院にお越しください。