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哲学の敵は言語?

こんにちは!M1のあやねです!

 

今回は、ふとした瞬間に思ったことを書き連ねていきます。

 

今日ふと思ったことは、タイトルにもある通り「哲学の敵は言語なのではないか」ということです。

敵というとかなり大げさかもしれません。

 

ただ哲学的な思考をする上で、言語が一番その邪魔をしているのではないかと思うのです。

 

言語は、その国の伝統や歴史、文化などその国特有の景色を見せます。

逆を返せば、その言語を使うことでその国の伝統や歴史、文化に基づいた景色でしか物事を捉えることができないのです。

アイヌ語は「雪」を表す言葉が100通りもあると言われています。それに対して日本語の「雪」を表す言葉はそれよりも少なく、約40種類ほどになるそうです。(定かではありませんが)

ということは、アイヌ民族のほうが、たくさんの種類の雪を見分けられるのです。雪と共に生活してきた文化が生み出した言葉なんだろうなと思います。

 

さて、ここで哲学の話に戻ります。

昨日ふと「幸せとは何か」について考えました。その考えている最中、一つのことに気付きました。

「日本語で考えているということは、日本の文化に基づいた幸せの形しか見つけられないのではないか。見落としている景色が多すぎるのではないか」と。

 

言語とは時に残酷なのかもしれません。

 

以上、あやねがふと考えたことでした。