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じゃんけんに負けた長田。

今回も写真について……と行きたいところだったが、ふと思ったことがあるので、それについて考えたい。

じゃんけんというものがある。

今日、夕食の帰りにコンビニエンスストアで欲しいものを選び、じゃんけんに勝った人が参加した人のものを買う、いわゆる男気じゃんけんを行った。TVのお笑い番組(TVをちゃんと見ていたのは高校まで)によくあるちょっとした罰ゲームを付加させつつも、勝った者を誇らしくさせる、この遊び(?)は今年になってよく誘われてやるようになった。

計5回行ったが、その結果に喜ぶ者、落胆する者様々だった。

私が勝ったのは一回だけだったが、これまであまり経験のない回数であったこともあってか、大変楽しかった。

勝つことも負けることも、「そういう時(こと)もある。」と考える私にとって、気軽にできるこの遊び(?)は、小中学校の頃の友人とゲームをする感覚を思い出させてくれる、ただただ面白い催しである。

 

ふとここで考えたのは、この私の「そういう時(こと)もある」という考えである。

最近の身の周りに起こるあらゆることも「そういう時(こと)もある」で乗り越えてきた。これはいわば強制的に自分を納得させる魔法の言葉である。ただ、これは自分のことをどこか他人事のように納得しているというもので、おかしなものである。ともすれば自分がないのである。私が車を所持することになりそうだという件に関しても、親に一任するし、(2,3日でネタにされるほど広がるとは。みんなの話題力が尽きているのか……。)自身が関与する事柄に関心が向いてないように思える。

 

と、考えてみたが、この点に対しては、ただ関わっている人と琴線が触れないところに欲があるだけのことであると思いたい。そういうこともある。

 

そう。私にだって欲はある。

 

 

 

人におごられて食べるチーズケーキは美味しいなぁ!ということである。