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長田の思考。

本日、前期における講義の最終課題がすべて完了した。

 

レポート課題で私はよく、書くことがもうないのに(課題内容的にこれでいいと思うし、今更調べたくもないのに)提出期限まで粘ってしまうことがある。仕舞いには、「レポートとは。」と根本的な問いを自分にし、長く考えた末に検索をかけてしまうこともある。

 

どうしてだろうか。

 

求められていることに対して、自分の示すものが間違っている(あるいは誤解している)かもしれないことを恐れているのだろうか。

 

そうかもしれない。

 

今このブログを書くにしても、文の途中で()を入れて複数の読みを示唆していることを示すことで、複数のことを同時に伝えるようにしている。

 

そもそもこの文章を書いている私にとって、この問いに答える内容は「私は優柔不断である」ということだけでいいのであり、上記で書かれた内容は、推敲していく中で省かれる内容である。

 

しかし同時に、この頭の中で起こっている思考の変遷を示すことで、その優柔不断ぶりを伝えるための必要な文章ともなりえる。

 

その文の必要性について考えているうちに、提出期限まで時間をかけてしまっているのである。

 

 

私はこれを、「映画のエンドロール後に何かあるかな、ないかな…やっぱなかったか病」と命名し、自身が重篤患者であることを公言したい。